真野啓太 真田香菜子
テロ事件の容疑者の生い立ちや動機は論じるべきではない――。選挙演説会場で岸田文雄首相のそばに爆発物が投げ込まれた事件のあと、責任転嫁や同情につながるという懸念から、そうした意見がネットを中心に飛び交った。事件の背景を知ることの意味を考えた。
「物語化」と英雄視への懸念
事件をめぐっては、和歌山県警が兵庫県川西市の無職、木村隆二容疑者(24)を威力業務妨害容疑で現行犯逮捕。火薬類取締法違反(無許可製造)容疑で再逮捕された木村容疑者は黙秘しているという。
事件後、ジャーナリストの佐々木俊尚さんはツイッターにこう投稿した。
「テロリストの半生の屈折をことさらに取りあげて『社会が悪いからテロリストになった』というような物語を勝手に付与してしまうと、それは容易に英雄視につながってしまいます」
なぜこのような投稿をしたのか。佐々木さんに取材すると、事件の「物語化」への懸念を語った。
昨年7月の安倍晋三元首相の銃撃事件後、山上徹也被告の母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に高額献金をしていたことが明らかになった。それ以来、山上被告の「被害者」の顔が強調される報道が多いと佐々木さんは感じてきた。結果、山上被告の加害者としての行為を容認しかねないような空気ができあがってしまった、と言う。山上被告の減刑を求める運動が起き、作家の島田雅彦さんがネット番組で「暗殺が成功してよかった」と発言(のちにツイッターで「軽率な発言により、大きな誤解を招いたことを反省し、今後、慎重な発言に努める」と釈明)するなど、暴力を容認するかのような言説も生まれた。
記事の後半では、犯罪学と政治思想の視点から、事件の背景を広く社会で共有することの意味を考えます。報道の規制を唱える主張は「愚民観」に基づくものだと専門家は指摘します。
佐々木さんは、昭和初期の5…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル